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妙寺簡易裁判所 昭和42年(ろ)10号 判決

被告人 木地邦彦

昭三・七・三〇生 呉服商

主文

被告人は無罪。

理由

一、本件公訴事実は、被告人は、昭和四二年四月一五日施行の和歌山県知事選挙に立候補した平越孝一の選挙運動者であるが、同人が同選挙に立候補すべき決意を有することを知り、同人に当選を得しめる目的をもつて、未だその立候補届出前である同年三月一六日、「孝堂会笠田支部連絡所開き」との見出しのもとに三月一六日平越孝一先生を迎えて連絡所開きをするから多数来所を願う旨を記載し、平越孝一の氏名を特に大文字で表示した法定外選挙運動用文書である広告紙約九五〇枚を伊都郡かつらぎ町大字笠田東七四一番地読売新聞販売業中前定、同町大字笠田中一三一番地朝日新聞販売業北村宗一、同町大字笠田中一七四番地毎日新聞販売業北村一造、同町大字笠田東七一番地の一産経新聞販売業坂口敏男を介し、三月一六日発行の右各新聞朝刊紙に折込んで同選挙人である同町笠田東三四二番地平井春子等同町笠田地区居住の約九五〇名に一枚宛頒布し、もつて立候補届出前の選挙運動をしたものであり、右所為は公職選挙法第二三九条第一号、第一二九条、第二四三条第三号、第一四二条第一項に該当するというのである。

二、よつて審案するに、(略)

を綜合すると、被告人が昭和四二年四月一五日施行の和歌山県知事選挙に立候補した平越孝一の選挙運動者であつたこと、そして被告人が右平越の立候補届出前である同年三月一六日、「孝堂会笠田支部連絡所開き」との見出しのもとに前示公訴事実欄に記載の如き内容を記載した広告紙約九五〇枚を伊都郡かつらぎ町大字笠田東七四一番地読売新聞販売業中前定ほか前示公訴事実欄記載の各新聞販売業を介し、同日発行の右各新聞朝刊紙に折込んで同選挙人である同町笠田東二四二番地平井春子ら同町笠田地区居住の約九五〇名に一枚宛頒布した事実はこれを認めるに十分である。

しかしながら、被告人の右所為は、以下の理由により公職選挙法第二四三条第三号、第一四二条第一項にもまた同法第二三九条第一号、第一二九条にも該当しないものである。

(一) 法定外文書頒布罪の成否について。

公職選挙法第一四二条第一項にいう選挙用文書なるものは、文書の外形内容自体から見て選挙運動のために使用すると推知されうる文書をいうものと解するのが相当である。そこで本件についてこれを見るに、前示押収にかかるビラ(昭和四二年押第一号の三)によれば、問題の文書は、横三八・五糎、縦二六・四糎の白紙の洋紙に横書きで上部一ぱいに「孝堂会笠田支部連絡所開き」と太文字で書かれ、その下に三本の細いアンダーラインを引き、中央部よりやや下方の左半分に右見出し部分の文字の半分以下の太さの文字で「平越孝一先生」と横書きしてそれを細い線で囲み、続いて右方へ小さく二行にわたり「を迎えて連絡所開きをいたしますから多数御来所下さい」と横書きし、下部右寄りに平越孝一先生と記載のある部分より若干太目の文字で「孝堂会笠田支部」と記載してある。そして、他に見出し部分と平越孝一先生と氏名の記載のある部分の中間に、右「を迎えて連絡所開きをいたしますから多数御来所下さい」とある部分の文字と同程度の文字で「とき3月16日午前8時30分」「ところ山本吉市氏別宅(国道筋パール喫茶東隣)」と記入し、これに附加して「孝堂会笠田支部連絡所」と線で囲みその位置を矢印で示した附近の略図が小さく中央部左側に書き入れられたもので、孝堂会に笠田支部連絡所開きの通知ビラの体裁を整えたものであることが認められる。

右のとおり本件文書中には、選挙に関する直接または間接の文言ないし言詞は何一つ記載されていない。(検察官は、「平越孝一先生を迎えて連絡所開きをいたしますから多数御来所下さい」と記載のある部分を取り上げて、当時予定されていた前記県知事選挙において立候補の意思を有する平越孝一に対し、暗黙裡に投票を勧誘した記事である旨と主張するけれども、右記載自体から検察官主張の如く読みとることは困難である。その他に右平越の選挙を有利に展開せしめる効用を期待したと解されるような文言は存しない。)

すなわち、本件ビラは、前記意義における如く、その外形内容からみるならば、選挙運動のために使用する文書とはとうてい認め難い。むしろ、その文言どおり平越孝一の後援会と目される孝堂会笠田支部のなした同支部連絡所開設の通知用の文書と解するのが相当である。

そうすると、爾余の点について判断するまでもなく、被告人の前示所為は、公職選挙法第二四三条第三号第一四二条にいう法定外文書の頒布罪を構成しないものといわねばならない。

(二)  いわゆる事前運動罪の成否について

前述のとおり、被告人の前示所為は、法定外文書頒布罪を構成しないものであり、法定外文書の頒布という形態においては選挙運動とはいえず、従つて被告人の前示所為は右の形態に限局する限り事前運動罪を構成しないものである。そこで、進んで、いわゆる法定外文書には該らないが前示の如き記載内容の文書を前示の如き多数人に配布した被告人の所為が事前運動罪に該当するか否かについて判断する。前掲各証拠を検討するに本件ビラの外形内容は前記のとおりであること、前示県知事選挙は昭和四二年三月二一日告示されたものであるところ、本件ビラの配布は同月一六日であり右告示の日に近接すること僅かに五日であること、配布枚数は前示のとおり約九五〇枚の多数に上つていること、配布の対象者は孝堂会笠田支部の会員に限られず会員外の有権者に配布されていること、配布の方法は孝堂会笠田支部の従来の事務連絡、通知方法とは全く異なり新聞折込みの方法によつていること、そして被告人は遅くも同月四日頃には平越孝一が前示県知事選挙に立候補するであろうことを察知していたことが認められる。そして右事実よりすれば、被告人の本件ビラの前示配布行為は、前示県知事選挙において立候補を予測された平越孝一の選挙に関連を有するものではないかとの疑念を抱かしめないではない。しかしながら、証人堀政治、同岡本虎男、同山本吉市および同平越孝一の当公判廷における各供述ならびに被告人の前掲司法警察員および検察官に対する各供述調書によると、本件孝堂会なるものは、平越孝一の政治活動を支援する等の目的で右平越が昭和二一年頃県会議員となつた直後頃より結成された、いわゆる右平越の後援会であること、孝堂会笠田支部は伊都郡かつらぎ町笠田地区における孝堂会の下部組織であり、会員およそ三、〇〇〇名を数えること、被告人は昭和三七年九月頃右孝堂会に入会し、その後昭和四一年八月末頃同会笠田支部の支部長に就任し、爾来後援会活動を熱心に行つて来たこと、右孝堂会の内規によれば同会支部は支部長宅に設けられることになつており被告人宅が同会笠田支部の所在地に当てられたが、被告人宅は呉服商を営み顧客の出入が多く、また狭い奈良街道に面していて車の往来に不便であり会員の集会には適さないところから被告人は昭和四一年一二月初頃より後援会活動を活発に行うために適当な場所を他に物色中、たまたま本件山本吉市の別宅を借りることになつたこと、ところが山本方の右別宅は、もともと呉服商を営む山本が同人方の従業員用宿舎として国より融資を受けて建築したものであつた関係上山本において右貸与に関しそれら関係機関と調整をはかり承諾をうる必要があり、この交渉のため時間がかかり山本の最終的な返答が遅くなり、やつと昭和四二年三月一〇日頃山本の同意を得るに到つたものであること、そこで被告人は吉日を卜して同月一六日右山本方別宅を孝堂会笠田支部連絡所として開設することになつたこと、被告人は右連絡所開設を笠田地区の会員その他地区民に対し通知し、開設日に来集を求めんと考えたのであるが、たまたま同月八日頃前示県知事選挙に立候補を噂されていた大橋正雄の後援会かつらぎ町支部の決起大会のビラが産経新聞の朝刊に折込みとして配布されて来た事実があつたところ、これを思い起し、これをヒントに会員らに対する右開設の通知連絡の方法としては右ビラによる新聞折込みの方法が簡便能率的であるとの考えに立ち到り前示の如き配布方法をとることになつたこと等の事情が認められるのであつて、前記事実のほか右の諸点すなわち、孝堂会および同会笠田支部結成の経緯、被告人の孝堂会入会および活動の経過、被告人が孝堂会笠田支部連絡所を開設するに至つた経緯、被告人が本件新聞折込の方法による配布方法を考案するに至つた経緯等の事情を彼此勘案して考察するときは、被告人の前示の如き記載内容に過ぎない本件ビラの配布行為を目して、立候補予定者たる平越孝一の当選を得しめるための投票勧誘ないしはその依頼行為と断ずることは困難である。被告人の配布にかかる本件ビラに「平越孝一」と記載のあることによつて、選挙民に右平越を印象づける結果となり来るべき選挙に有利に作用することが考えられるとしても、前記認定の如き内容の文書であるにとどまる限りそれは未だ副次的なものにとどまり投票獲得のため直接または間接に必要かつ有利な行為とまでは断じ難い。被告人の前掲司法警察官に対する供述調書によれば、被告人自身も前示の如きビラを配布すれば、平越を印象づけることになり平越が立候補のあかつきそれだけ同人に有利になるかもしれないとの考えもないではなかつた旨洩している部分があるが、被告人の当公判廷における供述ならびに被告人の前掲各供述調書を綜合すれば、被告人は副次的にそういう効果があるだろうと思つただけで積極的にその効果を狙つたものではなく、あくまで孝堂会笠田支部の後援会活動として前示所為に出たことを強調しているのであり、そのように推認することができる。

以上要するに被告人は、来るべき同年四月の県知事選挙に備え平越孝一の後援会である孝堂会笠田支部の後援会活動を拡充強化するための準備として孝堂会笠田支部連絡所を前記山本吉市方に開設し、右開設に附随して会員および笠田地区民に対し右開設通知をなしたに過ぎず、被告人の前示所為は後援会活動の範囲にとどまるか、選挙に関連があるとしてもその準備行為にとどまるものと認めるのが相当である。

すなわち、被告人の前示所為は法定外文書以外の文書の頒布という形態においてもいわゆる事前運動を構成しないものといわねばならない。

(ところで、本件起訴状によれば、前記公訴事実のほか罪名罰条として前示公職選挙法第二四三条第三号第一四二条第一項、第二三九条第一号第一二九条が掲げられており、右起訴状の記載の体裁に徴しても、また本件審理の経過に徴しても被告人の前示所為は一面公職選挙法第二四三条第三号第一四二条の法定外文書の頒布罪に、そして他面同法第二三九条第一号第一二九条の事前運動罪に該るとしていわば一所為数法の関係に立つものとして起訴され審理を尽して来たことが明らかである。そうすると、本件における事前運動罪を構成する事実関係は、単なる文書による選挙の事前運動ということではなく、法的性格に重点を附せられた文書すなわち同法第一四二条の法定外文書の頒布形態における選挙運動だけを取り出して、これだけを審判の対象に上呈したものと解さねばならない。

いわゆる事前運動には定型性がなく、如何なる形態の行為であつても、それが選挙運動と認められかつ立候補届出前のものであれば禁止の対象となるものであることはいうまでもないが、それだけに構成要件の上で不明確さを伴うことに問題がある。個々の公訴提起に当つてはじめて事前運動の構成要件的構成が明らかになるものであるから、如何なる形態の行為が審判の対象になつているかは、実体法上構成要件が明確である場合の事案に比して一層厳格に特定される必要があるように思われる。

右の見地に立つならば、本件は、被告人の前示所為が、法定外文書の頒布という形態において事前運動罪に該当しないものと判断するだけでこと足りそれ以上の判断の要はないものと考えられることになる。)

三、以上のとおり、被告人に対する本件各被告事件は、いずれも罪とならないか、犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法第三三六条により主文のとおり判決する。

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